津島神社という場所は、昔は津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)などといったように言われていました。そして最近では、多くの一般の方には、津島のお天王さまなどといったように言われています。また津島天王まつりといったものが非常に有名です。
この津島神社は、社伝を見ていくと、欽明元年(西暦では五百四十年)に鎮座していて、それから、弘仁元年になっては正一位というような神階であり、そして日本総社といったような号を、そして一条天皇がその、正歴年中にあっては、天王社といったような号を授けられて、全国にある天王社の中でも総本社となっていて、全国いろいろなところに、全部で約三千というような、非常に多い分霊社が存在しています。
また、戦国時代には津島に隣接している、勝幡城といったところの出身の織田信長が、この津島神社というものを氏神としていて、造営であったり、その他に大きく協力したと言われています。また、天正一九年になると、豊臣秀吉が今では重要文化財となっている、楼門といったものを寄進しました。
そして、一五九八年(慶長の三年)になると、今度は豊臣秀頼が、このときの秀吉が病気からの平癒といったことを祈願するということで、現在では愛知県の文化財に指定されている南門といったものを寄進しました。また、社領等といったものを寄進し、また造営しました。
そして、一六四七年(正保の四年)には、このときの尾張の藩主である、徳川義直がその社領であるということで、津島の地を一二九三石近くの土地を寄進していき、その後になっては、将軍家綱の幕府寄進であるという、神領地になりました。
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