真清田神社というものは、平安の時代よりずっと大社ということに認められていました。そして、尾張国でも一番であるというような鎮守様ということで、その地域の非常に厚い崇敬を集めています。そして、尾張国のなかでも、一宮ということで社格を誇っていくようになっていきいました。そして、愛知県の一宮市というものは、この尾張国一宮といったようなものからきているのです。
また、名古屋城が築城されたその後に、初代の尾張藩藩主である、このときの徳川義直が、一六三一年(寛永の八年)になって、真清田神社の社殿を非常に大きな修復をしました。
また、千七百二年(元禄の十五年)には、尾張藩四代藩主である、徳川吉通が、このとき本殿をしっかりと修造していき、そしてその五年後には楼門をしっかりとしたものに再建していくなどといったようなことをしているのです。そしてその後、一九三ニ年(昭和の七年)になると、社殿修理であったり、境内の整備といったものが行なわましたが、残念なことにそのときの名古屋城と同じように、その後の世界大戦のときの空襲でほとんどが焼失してしまいました。
そして、社名である真清田というような呼称は、古くから木曽川を流れる清く非常に澄んでいる水によって、多くの水田が辺り一面に形成されていたといったようなことによって、真清田といったように称されたというように言われています。
また、祭神としては天照大御神の孫にあたる、アメノホヒカリノミコト(天火明命)です。この、アメノホヒカリノミコトは尾張地方を開拓していくことに対して、力を尽くしていった尾張氏たちの祖先の神のことです。
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